「愚かで、悟りもなく、 目があっても見えず、 耳があっても聞えない民よ、これを聞け。
「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。
目があっても見えず、耳があっても聞こえない、 愚かで思慮のない者たちよ。
「愚かで、心ない民よ、これを聞け。 目があっても、見えず 耳があっても、聞こえない民。
民のうちの鈍き者よ、悟れ。 愚かな者よ、いつ賢くなるだろうか。
愚かな者はすでに心がないのに、 どうして知恵を買おうとして 手にその代金を持っているのか。
その枝が枯れると、折り取られ、 女が来てそれを燃やす。 これは無知の民だからである。 それゆえ、彼らを造られた主は 彼らをあわれまれない。 彼らを形造られた主は、彼らを恵まれない。
目があっても目しいのような民、 耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。
これらの人は知ることがなく、また悟ることがない。その目はふさがれて見ることができず、その心は鈍くなって悟ることができない。
彼らは皆、愚かで鈍く、 偶像の教は、ただ木にすぎない。
「わたしの民は愚かであって、わたしを知らない。 彼らは愚鈍な子どもらで、悟ることがない。 彼らは悪を行うのにさといけれども、 善を行うことを知らない」。
これをヤコブの家にのべ、 またユダに示して言え、
それで、わたしは言った、 「これらはただ貧しい愚かな人々で、 主の道と、神のおきてを知りません。
わたしはだれに語り、だれを戒めて、聞かせようか。 見よ、彼らの耳は閉ざされて、聞くことができない。 見よ、彼らは主の言葉をあざけり、それを喜ばない。
主は言われる、今あなたがたはこれらのすべてのことを行っている。またわたしはあなたがたに、しきりに語ったけれども、あなたがたは聞かず、あなたがたを呼んだけれども答えなかった。
空のこうのとりでもその時を知り、 山ばとと、つばめと、つるはその来る時を守る。 しかしわが民は主のおきてを知らない。
「人の子よ、あなたは反逆の家の中にいる。彼らは見る目があるが見ず、聞く耳があるが聞かず、彼らは反逆の家である。
エフライムは知恵のない愚かな、はとのようだ。 彼らはエジプトに向かって呼び求め、 またアッスリヤへ行く。
ところが、彼らは聞くことを拒み、肩をそびやかし、耳を鈍くして聞きいれず、
それは 『彼らは見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、悟らず、 悔い改めてゆるされることがない』 ためである」。
目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。また思い出さないのか。
「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。
『この民に行って言え、 あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。 見るには見るが、決して認めない。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
「神は、彼らに鈍い心と、 見えない目と、聞えない耳とを与えて、 きょう、この日に及んでいる」 と書いてあるとおりである。
すなわちその大きな試みと、しるしと、大きな不思議とをまのあたり見たのである。
しかし、今日まで主はあなたがたの心に悟らせず、目に見させず、耳に聞かせられなかった。
愚かな知恵のない民よ、 あなたがたはこのようにして主に報いるのか。 主はあなたを生み、あなたを造り、 あなたを堅く立てられたあなたの父ではないか。